スケジュール帳がビッシリ?「忙しいが美徳」は大間違い。人間の器量は「暇の使い方」で決まる【大竹稽】
大竹稽「脱力の哲学」6 〜暇こそ本番〜
■「忙しいが美徳」は大間違い。ニーチェが語る「暇な人間」とは?
わたしたちの心が不安や恐怖に覆い尽くされてしまうのは、暇がなくなったからかもしれません。素直になれないのも、真剣になれないのも、暇を避けているからかもしれません。「生産のため」に舗装された「最速」のルートから、ひとまず離れてみませんか。あえて、立ち止まってみませんか。
「暇人」とはなかなか絶妙な言い回しです。いっぽうで揶揄することにもなれば、いっぽうで羨望にもなります。日本で一番人気の哲学者のニーチェも、主著の一つ『人間的な、あまりに人間的な』で、「忙しいが美徳」のような風潮を痛烈に批判しています。
「学者たちは、せかせかした楽しみを求めて動き続ける人たちと張り合う。そしてこの楽しみ方を、はるかに多くの楽しみともなるようなやり方よりも高く評価している。学者たちは暇を恥じる。しかし、暇や無為は貴いものだ。暇な人間は、いつも動いている人よりましである。だが、わたしが暇や無為ということで、諸君を指しているとは、まさか思うまい、怠け者の諸君?」
さて、「忙しい、ああ忙しい」なんて弁解はそろそろ飲み込みましょう。きっとそれは、あなたを追い立てるために他の誰かがあなたに刷り込んだ「キラーフレーズ」なのです。そろそろ限界じゃないですか?
あなたの模範になるのは、時間に縛られた忙殺人ではなく、「よし!暇だ!」なんて言えるような行動にも心にも余裕がある人なのです。先輩や上司にそんな人、いませんか? いればラッキー!いなかったらあなたがその「先輩」「上司」になってしまいましょう。
あなたが無心になれる本番は、忙しい時にはありません。「暇こそ本番」なのです。
文:大竹稽